Home / FUN / サッカーを通じて成長する19歳が知った、海外で闘うことの意味/SVホルン 新井瑞希
13923437_10154437692349083_4814566309792287325_o

サッカーを通じて成長する19歳が知った、海外で闘うことの意味/SVホルン 新井瑞希

グローバル化によって世界が近づく一方で、「日本の若者は内向きになっている」と報じられることも多い。海外留学者は減少傾向にあり、「快適な日本から飛び出すことに、若者が魅力を感じづらくなっている」という声もある。そんな中にあって、若くして日本という舞台を飛び越えて腕を磨く若者もいる。そう、サッカーの世界にも。

 
 オーストリアの2部サッカーリーグであるSVホルンに所属するのは新井瑞希、19歳。「国内でキャリアを積んでからの欧州主要リーグ移籍」(*1)という価値観に逆らい、青春を海外挑戦に捧げる若きプロサッカー選手だ。

*1 欧州主要リーグ:イングランド、スペイン、ドイツ、イタリアなどの強豪国とされる国のサッカーリーグ

 
 新井は、南米の選手を彷彿とさせる柔らかいタッチを武器にしたドリブラーだ。相手をあざ笑うような技術に加え、得点力の面でも成長著しく、2015年の海外から育成年代のクラブが集まるインターナショナルユースカップでは脚光を浴びた。

そして同年に国内で開催された、オーストリア2部リーグのSVホルンのトライアウトを通過したことで、この若者の人生は大きく動き始める。

 SVホルンは日本代表、本田圭佑がオーナーとなったことで知られるチームで、新井は、イタリアの名門ACミランに辿り着いた男を唸らせるだけのポテンシャルを持っている。

フランスの英雄ティエリ・アンリやブラジル代表ネイマールのように、「ソックスを膝が隠れるくらいまでたくし上げる」スタイルを好む19歳の青年は、サッカーが仕事になり、さらに海外での競争、生活というすべてが未知の世界をどう感じているのだろう。

 彼の中にあったのは「強烈な渇望」だった。欧州の地で厳しい競争に挑む若者を満たすものは、まだ見つかっていない。

 

18歳ではじまった、海外での生活


ー自身初の海外挑戦となった昨シーズンはチームの優勝、2部への昇格という素晴らしい結果で終えました。おめでとうございます。いまの心境を聞かせてください。


ありがとうございます。3部で優勝して、2部リーグに上がるというチームの目標が達成できたのは素直に嬉しいです。ただ、自分はトップチームでほとんど試合に出ることが出来ませんでした。

なので、もっとトップチームの試合に絡みたいという気持ちが強いです。技術だけなら、海外の選手と比べても負けているとは思っていない。チャンスを無駄にしないように、常に準備を欠かさないようにしたいです。

*新井選手は新シーズン、トップチームで現在2試合に途中出場を果たしている。

 

ーはじめての海外での生活はどうですか?

チームには日本人の選手も多いですし、ネットやSNSでも情報が入ってくるので、日本のサポーターの応援も身近に感じます。そういう意味ですごく遠いところにいるという感じはしないです。

日本人のチームメイトとは仲良くやっていますし、権田さんは日本人では最年長というのもあって色々と教わることも多く、本当にお世話になっています。日本代表を経験した選手が近くにいるっていうのは貴重ですね。

同年代ではニッキ君(ハーフナーニッキ選手)、健太(川中健太選手)、りん君(矢島倫太郎選手)とは一緒に出かけることが多いです。

 

ー食事は、どのように摂っていますか?

出来るだけ、自炊するようにしています。日本の調味料を持ってきているので、それで肉や魚を焼きます。海外に出てから料理をするようになりました。料理のレシピは、クックパッドで調べてます(笑)。食事のパターンは決まっていて、朝はシリアルかヨーグルトを食べて、昼はパスタ、夜にごはん、というかたちが多いです。

 

ーチームでのコミュニケーションは?

チームメイトは英語で喋れる選手も多いんですけど、ドイツ語で喋るようには心掛けてます。まだ、サッカー用語くらいしか喋れないんですが、なるべくチームメイトと喋れるようにドイツ語のレッスンにも通っています。


サッカーが「海外」で、「仕事」になるということ


ー高校卒業後、そのまま国内でなく海外という道を選んだ理由は?

環境が重要な要素のひとつだったかもしれません。僕が前に所属していた柏レイソルユースでは結構海外志向の仲間が多かったんです。ハンブルガーSVに移籍した伊藤達哉選手など、海外に出ている仲間の存在は刺激になっていました。日本にいるときからそういう刺激的な環境でプレー出来たことは大きかったと思います。

なので、大学っていう考えは浮かびませんでした。海外に興味があったし、このタイミングで行きたいと思っていたので、大学からもオファーを頂いていたんですが、すべてお断りしました。大学に行ったとして、卒業したら23歳。それだと、ちょっと遅いのかなって。

南米やヨーロッパ、ドイツやイタリア…様々な国でチャンスを探していて、自分のプレースタイル的には南米が合っている思った時期もありました。ただ、ヨーロッパという舞台に挑戦したい気持ちが消えなくて。

そのとき、ちょうどホルンがトライアルの募集をしていることを知って、書類選考に応募しました。トライアウトのときは、周りがプロの選手ばかりだったので、まさかホルンに移籍出来るとは思ってなかったんですけど、そこでいつも通りのプレーが出来たのは自信になりました。良い意味で開き直れたというか。プレッシャーの中でもプレーの質を落とさなかったことで、物怖じしない性格をアピール出来たのかなと。

プロになりたいっていう夢はずっと心にありましたし、浦和レッズのユースで全国優勝を成し遂げることも出来ました。自分の名前も、少しずつ広まっているのかなと。だからこそ、ステップアップのタイミングだと感じていましたし、トライアルの試合後に本田さんと話をして、「ホルンに加入したい」と強く思いました。


ープロになってサッカーが仕事となりましたが、意識の変化はありましたか?

やはりお給料をもらっているので、「やるべきことをやらないといけない」っていう思いは強くなりました。ユース時代と比べて責任感は強くなったと思います。実際、自分の頑張り次第でサッカー選手としてのキャリアは大きく変わるので。活躍したら給料が上がったり、契約もより良い条件を勝ち取れたり。そういうことを普段から意識するようになったのは、変わったところだと思います。


ー環境が変わったことも大きかったんでしょうか?

僕はあまり感情を表に出すタイプじゃないんですけど、海外はサッカーだけに限らず「言わなきゃ、伝わらない」。言いたいことを言えるようになるには語学が必要ですし、さらに自分が動かなければ、周りも動いてくれない。家事とかでも、自分がやらなきゃ誰もやってくれない。

サッカーに費やす時間も長くなりました。練習して、ご飯食べて、寝るだけっていう生活。日本にいたら遊んでしまうんですが、こっちではTVもないので。

日本は環境が良いので、どうしても、「楽な方へ楽な方へ」流されてしまう。それに、これまで自分が高校生だったので、色々と甘えていた部分もありました。でも海外では厳しい言葉もかけてもらえたりして、考え方が変わりました。

 

ー結果、勝ち負けの世界なので、そこもシビアですよね。

そうですね。特に、僕は攻撃的なポジションなので、アシストや得点などの数字は評価に直結します。個人での成績だけでなくチームとしての結果もそうです。結果が出ないと仕事がなくなってしまいますし、他のクラブも興味を示してくれない。次のステップにも進めなくなってしまいます。

いまは若さも武器になっていますが、SVホルンのユースにも、若くて良い選手は沢山います。彼らがトップチームに上がってきたとき、彼らとも競わなければいけないし、僕は10代ではなくなっているので、自分が生き残るためにもっと実力をつけたいです。

 

ー不安みたいなものはありましたか?

最初は右も左もわからなくて不安でした。契約のときも、代理人がいなかったので自分でやらなきゃいけなくて大変で。でもそういう環境に身を置くことで、人間としても成長できるんじゃないかと思います。

それに、シビアな環境ではありますけど、毎日がサッカー漬けなので充実してます。ホームシックにもなっていませんし、ストレスよりも色んな面から受ける刺激のほうが多いです。プレッシャーはあまり感じるタイプじゃないですし、しっかりリフレッシュもして自分のバランスをとるようにしています。じゃないとやっていけないですし、それもプロの仕事なんじゃないかって。

そして、やっぱりサッカーは楽しい。最初は誰でも楽しくてはじめたと思うので、そこだけはどんな環境でも忘れないようにしたいです。

 

10代が見据える、数年後の未来

 

ー5年後や10年後の目標はありますか?

もちろんあります。22歳までには、日本人選手も多く活躍するドイツのブンデスリーガに挑戦したい。それもあって、いまドイツ語を勉強しています。

そこで活躍して、最終的にはスペインのリーガ・エスパニョーラでプレーすることを目指しています。小さいころからネイマールの大ファンなんです。相手を技で翻弄出来るようなドリブラーになりたい。僕はキレで勝負するスタイルなんですが、足技ももっと磨いて、26歳くらいまでに実現させたいです。

本田さんは「目標を定めることで成長する」ということを話してくれますし、「どうなりたいのか?」という質問を僕にもぶつけてくれます。発言に重みがあって、実行力もあるトッププレイヤーが「僕を見てくれている」っていうのはとても貴重なことです。そういうひとの言葉を自分の中でもどんどん吸収したいです。

 

ー2020年の東京オリンピックも意識していますか?

僕は東京オリンピック世代なので、当然意識はします。かつての仲間が日本代表やJリーグでプレーしていることは、とても刺激になっています。悔しい気持ちもありますし、絶対に彼らに追い付きたいです。

そして、同年代の人たちにも、海外に行きたいという気持ちがあるなら、そこで一歩踏み出して欲しいです。そこで失敗したとしてもその経験は自分の成長に繋がるし、絶対に何かを掴めると僕は信じています。

 

 

 自身の未来について考える場面に直面したとき、無意識に安全な道を選んでしまうことは多い。日本社会は成熟しているからこそ、理想の働き方や生き方を指し示してしまう。

選択肢は選ぶことであり、同時に選ばなかったものを捨てることだ。彼は慣れ親しんだ日本での大学生活という選択肢を捨て、国境や価値観、枠組みから飛び出してオーストリアの郊外でサッカー漬けの毎日を送っている。

 日曜日には多くの店が休んでしまうオーストリアの小さな街では、日本のような生活は簡単ではない。しかし彼はサッカーを通して、ひとりの人間として大切なものを積み重ねている。

日本とはまったく異なる街並み、地続きのヨーロッパを車で超える国境、試合前のロッカールームでも爆音で音楽をかけるチームメイト、これまで知りもしなかった新しい世界に、価値観に、新井はこの瞬間も出会っている。

 夢は、短距離走ではなく長距離走なのかもしれない。この世界は一番速くゴールした人が優勝ではない。どんな道や方法を選んでも、熱量と勇気があればチャンスは訪れる。舗装されていない道を自らの手で切り開いていく若武者の挑戦を、温かく見守りたい。

 

Interview & Text by mito
Edited by DEAR Magazine
Photos courtesy of SV Horn
Interview photos by Takuya Wada

Cooperated with FODS SC

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

About mito

mito
mito:スポーツブランドのプロモーションを中心に活動している大学生。味の素スタジアムにてKIRINと契約中。サッカー好き女子向けマガジンを設立しMC、リポーターとしても活躍。選手やコーチ陣とも親交があり、彼等と一緒に医療ボランティアとスポーツ支援の融合を目指す。サッカーをもっとLightなlifestyleへ

Check Also

フリースタイルフットボール世界大会(RBSS)、日本代表・Ko-sukeが準優勝

11/7、8にフリースタイルフ …