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中国人が語る、「中国サッカーいまむかし」

いま、世界のサッカーシーンを賑わせている中国スーパーリーグ。豊富な資金を原動力に、日増しに存在感を高めていることもサッカーファンなら知るところ。では、中国のサッカーとは実際にはどのようなものなのだろう?中国人サッカーライターに語ってもらった。

 

Photo on top by ©iStockphoto.com/zhaojiankang

 

 今年の夏、中国スーパーリーグ(中国のサッカー一部リーグ)の与えた衝撃は凄まじいものだった。イタリア代表で活躍し、プレミアリーグのサウサンプトンに所属していたFWグラツィアーノ・ペッレは山東魯能泰山足球倶楽部へ加入。同チームは、中国リーグでも上位のチームではない。

驚くべきは、降格の危機にあった山東が焦りの中で資金を投じ、ペッレを「世界で6番目に高い給料を得る」サッカー選手にしてしまったことだ(彼の週給は25万ポンド(約3500万円:*1)と報じられている)。中国リーグにいる選手が、クリスティアーノ・ロナウドに匹敵する給料を貰っているのだ。指揮官フェリックス・マガトの下で、ペッレは苦しむ名門を救うべく働くことになるだろう。

*1:2016年9月現在

 

 今、中国スーパーリーグはトルコを含む12の国で放映権を販売している。これは中国人である私にとって、数年前は想像も出来なかったことだ。数年前の中国リーグは「国内のサポーターにすら見向きもされないもの」であったが、今や海外からも関心を寄せられている。激変を続ける中国のサッカーとは一体どんなものなのか。それを知るためには、まずは歴史を見ていかなければならない。


1994年以前 中国サッカーの特殊な環境

 

 プロリーグが中国に誕生する以前、国内のリーグは各地方の「特別なチーム」によってプレーされるものだった。選手達は給料を政府から受け取る、公務員のような状態だった。多くの国民はサッカーに興味を示すことなく、共産政府も、卓球やバドミントンのようなスポーツを好んでいた。ヨーロッパで生まれたスポーツは、政府にとって重要なものではなかった。

 中国の代表チームも、FIFAやAFCに所属しない時期が続いていた。この特殊な状況は、第二次世界大戦後の内戦に起因している。共産党と国民党の争いの中で、共産党が中華人民共和国を建国。国民党は台湾に逃れ、そこで中華民国を名乗った。

そういった背景があり、中華人民共和国の代表チームは「中国代表」として認められなかった。1980年代以前には北朝鮮、アルバニアなどの社会主義国としか試合が出来なかったのだ。

 

1994-2003 プロリーグの波

 


Photo credit:
Tracy Hunter via VisualHunt / CC BY

 1984年夏のロサンゼルス・オリンピックは、中華人民共和国にとって「最初」のオリンピックだった。スポーツ大会への参加に伴って代表強化を目指した中華人民共和国だったが、政府の資金は卓球や体操などの「メダルを取りやすい」競技に集中する。彼らにとって、サッカーは投資によって結果を期待出来るものではなかったのだ。

そんな中で、チケット収入やコマーシャル、スポンサー収入などを得ることを目的としたプロサッカーリーグでのJia Aリーグ(甲級Aリーグ)の設立が決定する。これによって中国人のサッカーファンは毎週末試合を観に行けるようになり、選手の給料はそれまでの10倍となった。

 1990年代、経済不況にあった中国において突如としてサッカーは「出稼ぎ労働者でも楽しめる」重要な娯楽となった。様々な面で未熟だった甲級Aリーグだったが、それでも多くのサポーターはサッカーに熱狂することになる。

北京や大連、上海といった大都市がチームを持つことになり、後に山東が台頭する。筆者の出身地でもある四川を本拠地とした四川冠城も、この頃「カルト的な」人気を誇ったチームだった。

彼らは攻撃的なスタイルで何度となく番狂わせを起こし、一方で下位チーム相手に勝ち点を取りこぼした。そんな国内で「最も面白いチーム」だった四川冠城は、1996年に降格争いに巻き込まれる。国内メディアが「四川の決戦」と評した試合に、サポーター達が駆けつけることになる。最終戦のチケットを買うために、60000人のサポーターが野宿したというのは伝説だ。最後の2試合を勝利して、彼らは残留を成し遂げる。試合を見に来た市長の奥さんは、試合に興奮し過ぎて失神してしまったという。


甲級Aリーグは全ての面で、アマチュア的なリーグだった。四川の選手達は、地元のレストランで鍋を楽しんでいたという。クラブは頻繁にオーナーを変え、本拠地を変え、場所を変えた。日本の読者からすれば信じられないかもしれないが、「ガンバ大阪」が突如「ガンバ東京」になってしまうようなリーグだったのだ。ファンは怒りを覚え、サッカーから離れていった。

甲級Aリーグ時代、海外の選手や監督も中国へとやって来るようになった。韓国やセルビアから指導者が流入し、ボラ・ミルティノビッチは中国を2002年の日韓W杯本大会に導く偉業を達成した。

 

2004- 2008 中国超級リーグ発足と、変わらない問題

 

 イングランドのプレミアリーグを目指して、多額の放映権を得ることを目指し発足した、「野心的な」超級リーグだったが、その勢いは一瞬で失われることになる。

収入と観客数は、2002年W杯の盛り上がりを忘れたように大きく落ち込んでいく。多くのチームはオーナーの変更を繰り返し、ホームチームを失うサポーターも相次いだ。更に、中国リーグは癌に蝕まれていた。

癌の名は、「八百長」。記者や調査機関の努力によって、どれほどに中国のサッカーが「汚染されていたか」が明らかになった。裏社会によってギャンブルは支配され、ゴールのタイミングさえもコントロールされていたのだ。全てのクラブが、八百長に関与していたのである。

2008年の北京オリンピックの決勝戦は、ブラジル対アルゼンチンとなった。そんな中、中国人のサポーター達は悲しみと怒りと共に「サッカー協会のトップ」の解任を要求。海外の記者が「決勝戦で両チームを泣きながら応援している」と勘違いされたことで笑い話になってしまったが、それはサッカーを愛する中国人にとって許せない事実だった。セリエAで起こったスキャンダルのように多くのクラブが罰則を受け、中国リーグは観客の半分を失うことになる。

 

2008年以降- 資金の流入と強豪クラブの誕生



Photo via VisualHunt

 
 日本人の読者に忘れてほしくない事実として、中国は独裁主義的な国家であるということだ。幸運なことに最高指導者の習近平は、サッカーを愛している。彼の趣味が、中国のサッカーを大きく変えた。代表チームを強化するために、彼はW杯の招致を目指している。

当然、習近平と良好な関係を築きたい中国の官僚、資産家はサッカーを重要視している。中国政府は、多額の資金で国中にサッカースクールとグラウンドの開設を決定。サッカーは現在学校でも強制的に授業に組み込まれ、国の試験の一部となっている。


Photo credit: http://klarititemplateshop.com/ via Visual hunt / CC BY

 
 突如として資金流入が起きたことで、中国リーグは沢山の世界的プレイヤーが集まるリーグとなった。最初に中国にやってきたのは、元セビージャのカヌーテ。更に2012年には、ドログバとアネルカが上海へとやって来ることになった。


そして、広州恒大の飛躍も印象的な出来事だ。彼らは元々、「パワーではなくスピードで勝負する」スタイルを得意としていた。恒大グループが当時2部リーグにいた広州を購入し、「広州恒大」が誕生。彼らはすぐさま昇格すると、5連覇を達成。2013年には、ACLを勝ち取った。リッピやスコラーリが指導者となったチームは文字通り「別格」となり、ヨーロッパで活躍した選手ですら激しいポジション争いに苦しむようになった。ルーカス・バリオスが成功出来なかったのも、記憶に新しい。

 

中国サッカーの未来

 

 中国代表は、サッカーファン以外にとっても痛みと屈辱の象徴だった。中国は様々なスポーツで結果を残しているのに、世界で最も有名なサッカーでは結果を残せない。国民にとって、それは辛い事実だった。

14億の国民と多くのサポーターを抱えながら、中国のFIFAランキングは人口49500人のフェロー諸島と変わらない。中国の人々は、イングランドがフットボールを発明する前に蹴鞠(けまり)をプレーしていたことを誇りに思っている。そんな人々にとって、何度となく発展が妨げられている事実は納得のいかないものだ。

 1990年代、中国人の体格を生かすことがアジアで勝ち抜く鍵だと言われていた。韓国や日本と比べても、中国人は身長が高い選手が多かったからだ。

アンディ・キャロルのような空中戦に強いFWを生み出そうとした中国リーグは、かつてヘディングでの得点を「2点」扱いにするルールを生み出した。この愚かなルールによって、ゴール前で転がってきたボールに倒れ込んだ選手がヘディングするというコメディーのような状態が出来上がってしまう。

こういった愚かなルールは、他にもある。複雑な勝ち点計算方法によって、「最終戦で敗北することでしか、降格を避けられない」という状況も生まれることになった。

更なる批判は、中国リーグが代表のために数ヶ月休むことにも向けられる。プロのリーグであるにも関わらず、独立性を持てていないのだ。例に挙げたように、代表を強化するための施策は失敗を繰り返しており、今後も成功する見込みはない。

 中国のファンにとって、広州恒大は希望だ。多くの中国代表がこのチームでプレーしており、アジアでも結果を残す名門として知られている。郑智(テイ・チ)は以前チャールトン・アスレチックやWBAでもプレーし、広州広大でも素晴らしいパフォーマンスを見せた。

しかし現実を見てみると、彼らのリーグでのプレーは代表のパフォーマンスへと繋がらない。なぜなら、中国の選手は、あくまでサポートに優れた選手だからだ。クラブで攻撃の核になるCFやトップ下といったポジションでは海外の選手が君臨しており、結果サポートに長けた選手ばかりが代表に集まることになる。

 中国の国民はサッカーを愛しているが、実際にプレーする人間は多くない。彼らは卓球やバスケットボールを楽しみながら、サッカーの代表チームを応援する。教育システムが厳しい試験制度を前提としていることも、両親がサッカーをプレーさせたがらない理由だ。芝のピッチを使うにも、多額の使用料が必要となる。


Photo by Alex Brown

  国内リーグへの投資が進む一方で、スタジアムの芝は酷いものだ。中国で予定されていたマンチェスター・ダービーは、「鳥の巣」の異名を取る2008年に建設されたスタジアムのグラウンド状態が悪かったことで、試合前に中止となった。

 中国人プレイヤーの悪癖である「ラフプレー」も変わっていない。上海ダービーでのデンバ・バを負傷させたタックルは、酷いものだった。また、メディカルチームもプロからは程遠いものだった。彼らの粗雑な処置によって、デンバ・バの怪我は悪化してしまった。多額の投資は、中国サッカーの闇を覆い隠すことは出来ない。

 明るい面も、存在しない訳ではない。海外の関心を集めていることも、また事実だからだ。スコットランド人のキャメロン・ウィルソンは中国人女性と結婚し、上海に住んでいる。彼は上海申花のサポーターであり、英語のサイトを運営している。それによって、欧州のサポーター達が中国サッカーの情報を得ることが出来ているのだ。指導者として有名なスヴェン・エリクソンは「上海とロンドンのどちらが良い生活を送れるか、と問われると悩ましい」とコメントした。


上述のスコットランド人のキャメロン・ウィルソンさんによる中国サッカー情報サイト「Wild East Football」 / http://wildeastfootball.net/

事実として、豊富な資金は優秀な指導者と選手を呼び寄せる。しかし、資金で簡単に代表チームを強化することは出来ない。呪われし代表チームが成功するには、長い期間の献身的なサポートによる基盤作りが必要だ。

 

英語版
The shock wave of CSL from Chinese writer’s perspective
http://dearfootball.net/article/3292?lang=en

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About Zhi Zheng

Zhi Zheng
英国在住時に37のグラウンドを訪れ、アマチュアや下部リーグを観戦した中国出身のセルティックファン。プロのライターとして中国の新聞などに寄稿しており、記事を評価されたことで公式にセルティックから試合に招待された経験も。グラスゴー大学の大学院出身で、結城康平の友人でもある。

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