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道具係からはじまった、たったひとりの挑戦。/ニューヨーク・コスモス 宮本真育(アスレチックトレーナー)

 
アメリカ・ニューヨークで最も歴史のあるプロサッカークラブ、NY COSMOS(ニューヨーク・コスモス)。かつて「王様」ペレや「皇帝」ベッケンバウアーが所属したこのクラブには、あるひとりの日本人がいる。アスレチック・トレーナー、宮本真育(みやもと・まいく)。世界のサッカーシーンにおいて存在感を加速度的に膨張させる、スポーツ大国アメリカ。その渦中で挑戦を続ける、若き日本人だ。 

 昨季のホーム開幕戦、間近でペレやラウルを観るために埋まったニューヨーク郊外のスタジアムで、試合前にピッチ脇を走るアジア人の姿があった。観客含め、唯一見掛けたそのアジア人こそが、宮本だった。「スペインの至宝」ラウル・ゴンザレスが、最後のキャリアとなった昨季、唯一自身の体を触ることを許した、コスモスに在籍するただひとりの日本人だ。ニューヨークで4年目のシーズンを迎える宮本の挑戦に追った。

70年代、数々のスター選手を獲得し、アメリカはコスモスと共にサッカー先進国への道を辿ると言われたが解散。アメリカサッカーが経験した、隆盛と衰微を象徴するクラブだ。2010年に復活した。 Photo courtesy of New York COSMOS
70年代、数々のスター選手を獲得し、アメリカはコスモスと共にサッカー先進国への道を辿ると言われたが解散。アメリカサッカーが経験した、隆盛と衰微を象徴するクラブだ。2010年に復活した。
Photo courtesy of New York COSMOS

 

すべてを車に詰め込んで、ニューヨークへ走らせた

 

 サッカーに関わる仕事をしたい。選手と密に関わるアスレチック・トレーナーへの道を選んだ宮本は、カリフォルニアの大学で学び、アメリカのプロサッカーリーグであるメジャーリーグ・サッカー(MLS)所属のChivas USA(チーバス:現在は解散)でインターン勤務していた。卒業後のOPT(*)先を探していた彼は、コスモスで勤務していたチーバスの元同僚をつてに、コスモスのヘッドコーチに勤務を志願。しかし、唯一空いていたポストは、

「道具係でした。当時、日本人の選手がコスモスに所属(柏瀬 暁。2013年に在籍)してたのもあって、道具係、兼通訳でいいからってしつこく言ってたら潜り込めたんです」。それから宮本は、道具係をやりながらも、アスレチック・トレーニングに関して横から「口出し」していたという。するとある日、「じゃあやってみるか?」と偶然空いたトレーナーの枠が宮本に巡ってきた。

「道具係でも通訳でも、サッカーがある環境で働けることが嬉しくてしかたなかったんです。だからコスモス以外の選択肢を思いつきもしなかった。決まった瞬間、すぐに家を引き払って、荷物を全部車に詰め込んで、ニューヨークまで走らせました。カリフォルニアから5日かかりましたけど」と笑う。

*:オプショナル・プラクティカルトレーニング。アメリカでは外国人学生の有給の労働は認められていないが、専門学校、短大、大学などの卒業後、1年間有給で勤務できる資格。

アスレチック・トレーナーの仕事、最高の瞬間

 

 宮本は自身の仕事をこう話す。「僕らが一番求められてるのは怪我の予防。怪我がない、仕事がないのが理想。もし怪我をしてしまったら、いかに復帰を早めるかを助ける。そのためにもっとも重要なのがコミュニケーションです。水のセットアップから怪我の予防策、怪我をした際のファーストエイド、リハビリなどはもちろんなんですが、医師との電話や書類作成などの病院にいくまでのプロセス、その後の医師、コーチとのやりとりと、実は体をさわるだけじゃない。自分の伝えたいことを的確に伝え、選手、コーチ、医師全員が同じ情報を円滑に共有させていくことが最も重要です」

 プレーヤー一人ひとりとの毎日のコミュニケーション、何気ない「調子どう?」の小さな気遣いからすべてが始まる彼の仕事。「だからこそ、怪我をしてしまった選手が一緒に早期復帰を目指して、復帰してゴールを決めたとき、こっちへ向かって走ってきてくれた瞬間、本当にこの道を進んで良かったと思います」

勝ち負けの世界にいるのは選手だけではない

 

コスモスは宮本在籍1年目でタイトルを獲得。ラウル、キャリア最後の昨シーズン(2015)も同様に年間チャンピオンのタイトルを果たした。 Photo courtesy of New York COSMOS
コスモスは宮本在籍1年目でタイトルを獲得。ラウル、キャリア最後の昨シーズン(2015)も同様に年間チャンピオンのタイトルを果たした。
Photo courtesy of New York COSMOS

 
 ピッチ上でプレーをする選手が主役ならば、宮本のような仕事は裏方なのかもしれない。しかし、彼もまた勝ち負けの世界にいる人間だ。「けが人の多さやチームの成績は自身の評価にも左右しますし、僕はクラブに所属する会社員ですけど、契約も年契約です。いつクビになるかもしれない状況で、自分の価値を常にアピールすることを意識しています」

 外国人がアメリカで働く上でぶつかる壁、労働ビザは自分の仕事が評価されなければ発行されない。つまり、評価されなければ日本へ帰るしかないということだ。常に「競争意識が働く」と宮本は話し、それは「外国人にとってはサッカーの世界に限ったことではない」ともいう。


ラウルの、「マイクにやってほしい」

 
 そんな環境で生き残るために、いま宮本が出しつつある答え。それは自己犠牲だ。「どれだけ選手のことを最優先に置いているか。選手やコーチの要求に、常に答えれるようにすることを考えてます。例えば、マッサージひとつとってもやり方はそれぞれですが、僕は自分では時間を決めません。選手の納得いくまでケアして、次の部位にいく、といったようにです。そこが自分がいま、クラブで一番評価されているところだと思ってます」

 宮本は昨季、ラウルやマルコス(・セナ)の、「マイクにマッサージをやってほしい」との声を聞いたチームから、アウェイゲームへの帯同を許された。「自分が評価された」と感じた瞬間だったと宮本は話す。

「何かをやれと言われた時に、さらに一歩踏み込んで次に何をやればチームのためになるか考える。それは僕の武器で、日本人の武器でもあると思います」

 道具係からトレーナーのポストを引き寄せたときも、インターンシップから正式にコスモスで働く権利を勝ち取った時もそうだった。受け入りでも、本から学んだことでもない、生き残るために自身で導き出した答えで、宮本は周囲からの信頼を得ている。

「ニューイヤーの時に、母国に帰るマルコスの犬の面倒を頼まれてたんですけど、そんなことやるアスレチック・トレーナーいませんよね(笑)」


偉大なプレーヤーから学んだこと

 
 宮本は若くしてラウルら世界的名選手の姿を見ながら成長を続ける、稀有な存在でもある。「はじめは、ただただ光栄だったんです。でも次第に彼らと対等に接したい、と思うようになりました。結果、向こうも対等に接してくれるようになった」。そこから見えたこと、それは「彼らのプロとしての姿勢」だと宮本は話す。

「ラウルは年齢的には長くプレーしてるので、誰よりも自分の体を知ってます。だから誰よりも早く来て体を作って、誰よりも遅くまで体をケアする。それは当たり前のことなんですけど、簡単にできることじゃない。見えないところで、何年も何年も積み重ねてるからできることなんです。トレーナー、選手という関係ではあるんですが、仕事をするひとりの人間として、彼のプロとしての姿勢から学ぶことは多いです。本当に自分の仕事が好きなんです。好きじゃないと、あれだけ長くできませんよ」

 当たり前を究極まで突き詰めることで、ひとりの人間を世界的な名選手まで押し上げる。狂気じみて聞こえるが、それを実際にやってしまうプロフェッショナルと共に仕事をした経験は、宮本だけがもつものだ。


 アメリカサッカーにおいて最大・最速のうねりを生み出しているニューヨーク。破壊と再生、創造を繰り返し、時代や環境に自らを適応させ、常に進化し続ける生命体のような街だ。

そんな街で続ける宮本の挑戦は、まだ始まったばかりだ。だから、彼が見据える未来はいまはまだ語らない。しかし、彼の現在進行形の挑戦は人知れず、しかし確実に、世界のフットボールシーンを切り開いている。

 

取材協力: New York COSMOS
Photographer: Shin Ishikawa

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About Takuya Wada

Takuya Wada
和田拓也: DEAR Magazine編集長。バンドマンやらシステムエンジニアやら世界1周を経て、NYのデジタルマガジン、HEAPS編集部でインターンシップとして勤務し、企画から取材、執筆を担当する。その後、DEAR Magazineを立ち上げる。カレーと揚げ物が3度の飯より好き。

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