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サッカークラブは蘇る。世界の「フェニックス・クラブ」たち

欧州では、100年以上の歴史を持つサッカークラブが点在している。長い歴史を保有するクラブは、サポーター達にとってかけがえのない存在だ。しかし、クラブに何らかの事態が発生して消滅した場合は、一体何が残るのだろうか。

今回は、クラブ消滅を乗り越えて不死鳥のように復活した、3つの「フェニックス・クラブ」達を紹介する。

 

フェニックス・クラブとは

 

フェニックス・クラブとは、何らかの事態によってクラブが消滅したことで、サポーターやクラブを愛する有志が主導して立ち上げる新生クラブのことをいう。これらのクラブは、クラブ創設の際、消滅したクラブの歴史、伝統、クレスト(クラブのエンブレム)などを継承して活動する。

 

大企業によって歴史を奪われた、SVアウストリア・ザルツブルク

 

 1つ目のフェニックスクラブは、オーストリアのSVアウストリア・ザルツブルク。エクストリームスポーツのみならず、サッカー界でも存在感を増している、レッドブルと関係の深いクラブだ。

  1933年、SVアウストリア・ザルツブルクは、ザルツブルクの2クラブが合併する形で誕生した。1971年に1部リーグ初優勝とミトローパ・カップ準優勝を達成。束の間の黄金期を作り上げるが、財政難という問題が付きまとっていた。

 1990年代に入ると2度目の黄金期を迎え、メインスポンサーのオーストリア・カジノ社が積極的な投資を開始。この結果、国内リーグ戦を2連覇、ヨーロッパリーグの前身であるUEFAカップでは準優勝(1993-1994)を達成した。

 しかし、2000年代には財政破綻状態となり、クラブ存続が危ぶまれるなか、2005年に大手飲料メーカーのレッドブルが同クラブの買収に乗り出した。

当初、レッドブルはクラブの救世主としてサポーターから歓迎されていた。だが、レッドブルに買収された同クラブはクラブカラー、クラブ名、クラブクレストの変更を発表。この発表に長年クラブを愛し続けたサポーター達は怒り狂い、ザルツブルク全体で大々的な抗議活動に発展した。だが、5ヶ月も争われた抗議もクラブ経営陣との妥協点を見出せず、クラブの伝統は途絶えた。

 レッドブルに買収されたクラブは「レッドブル・ザルツブルク」と名前を変え、怒濤の勢いでオーストリア国内を席巻していった。これにより、ザルツブルクはオーストリア国内全土から大きなルサンチマン(憤り)を抱かれている。その陰で、絶対王者レッドブルの打倒を誓う新興クラブが誕生した。

 それは消滅したはずのSVザルツブルクだった。同クラブは2005年にサポーター達の「我々の歴史を継承する道徳的なクラブを発足する」という宣言から創設された。伝統と文化を継承したクラブは、白と薄紫を身に纏って再びザルツブルクで旗を揚げた。その後の2014-2015シーズン、ザルツブルグは3部リーグを制覇して、2部リーグ昇格を果たす。

この2部でもSVザルツブルクとレッドブル・ザルツブルクとの因縁が存在した。それは、レッドブルのサテライトクラブ(*1)であるFCリーフェリンクだ。2015-2016シーズンに2部リーグで戦うことになったSVザルツブルクは、FCリーフェリンクの存在を必要以上に敵視した。

SVザルツブルクは現在、3部リーグ(財政破綻のペナルティにより降格)で1部昇格を目指して奮闘している。

 同クラブのようなクラブ買収によって、大幅にクラブカラーが変わるケースは少なからずある。例えば、カーディフのクラブカラーを青から赤へ変更されたり、ハルシティのクラブ名が変わる可能性もあった。Jリーグでもヴィッセル神戸のユニフォーム変更が話題となった。クラブカラーやクラブ名は、応援する大義であると同時にサポーターにとってともに生きた歴史だ。仮に浦和レッズが明日からクラブカラーを緑色に変更し、クラブ名も「さいたまグリーンズ」と発表されたとする。筆者が仮にレッズサポーターなら、生きる希望を一つ失ってしまうだろう。

*1:経営規模の大きいクラブが中小クラブを買収し、出場機会の少ない選手を在籍させて育成を目的とするクラブ

 

本拠地移転により消滅した、FCウィンブルドン

 

 ウィンブルドンといえばテニスの聖地として有名であるが、20年前は「フットボールとテニスの街」として名を馳せていたことはご存知だろうか。FAカップ優勝、プレミアリーグ創設メンバーであるFCウィンブルドンは、南ロンドンを代表するクラブだった。

輝かしい実績がある反面、積み重なるラフプレーから「クレイジー・ギャング」と軽蔑されることもあった。この古き良きクラブは、新しく導入されたスタジアムの規格変更やスタジアム付近の治安問題などの影響により、ウィンブルドンでのクラブ運営が困難となった。

 そこで、ロンドンから北西に約80㎞離れた、ミルトン・キーンズへの本拠地の移転話が浮上する。イングランドのサッカー史において本拠地移転は前代未聞であり、英国中で大きな話題となった。

当然ウィンブルドンのサポーターは反対するが、クラブは2003年に本拠地移転を強行。翌年にはクラブ名を「ミルトン・キーンズ・ドンズFC(MKドンズ)」にクラブ名を変更した。こうして、100年以上の歴史を持つFCウィンブルドンの歩みは途絶えた。

 本拠地移転に反対していたウィンブルドンサポーター達は、2002年に「AFCウィンブルドン」を創設。FCウィンブルドンの歴史を受け継ぐクラブとして活動を始めた。同クラブは地域リーグ(9部リーグ)からスタートを切り、2004年まで78戦不敗という大記録を樹立。順調にリーグディヴィジョンを上げていった。

 それから10年後の2012年、苦難を乗り越えたウィンブルドンには、ミルトン・キーンズとの宿命の対決が待っていた。

 二つの「ドンズ(FCウィンブルドンの愛称)」は、2012年のFAカップで初めて対戦。試合結果は1-2でウィンブルドンの惨敗に終わり、複雑な因縁が渦巻くクラブの対決は注目を集めた。

 そして、2016-2017シーズンに入ってから新たな展開を迎えた。それは、二つのクラブが同じリーグ1(英3部)に入ったからだ。MKドンズはチャンピオンシップ降格、ウィンブルドンはプレーオフを勝ち切ってリーグ1へ昇格。2016年12月10日に再び因縁の対決が開催され、ホームのMKドンズが1-0で勝利した。今期のリーグ後半戦ではウィンブルドンで避けられない死闘が待ち構えている。

 MKドンズとウィンブルドンのサポーターは、お互いに戦うことを望んでいなかった。なぜなら、元のFCウィンブルドンの移転によって創設されたクラブだからだ。ウィンブルドンサポーター達はMKドンズを「FCフランチャイズ(暖簾分けしたサッカークラブという意味)」と呼んでいる。そこから察するに、単純な憎悪や因縁では片付けられない感情があるのだろう。

 

アメリカに存在した伝説のサッカークラブ、NYコスモス

 

 「サッカーの神」ペレや「皇帝」ベッケンバウアーが一同になって戦う。そんな夢物語を叶えたのは、ニューヨークコスモス(NYコスモス)だ。

同クラブは、1970年に映画配給企業のワーナー・ブラザーズの出資によって設立。クラブ創設の背景は、ワーナー・ブラザーズ会長のスティーブ・ロスが構想する「アメリカにおけるサッカーのメジャーコンテンツ化事業」の一環だった。

巨額出資により、ペレ、カルロス・アウベルト、フランツ・ベッケンバウアー、ヨハン・ニーケンスなどの世界的な大スターを獲得。北米サッカーリーグ(NASL)では、最多となる5回の制覇と栄華を極めた。

観客者数も創設5年目で平均入場者数1万を突破し、1978年には平均入場者数が4万7856人を達成、観客が増加するにつれてヤンキー・スタジアム(創設初年度も使用)やジャイアンツ・スタジアムを使用するようになった。

コスモスは伝説のクラブとして大衆の記憶に刻まれることとなったが、この栄華は長く続かなかった。スポンサーの経営不振やリーグの経営撤退により、クラブの勢いは急激に失速。クラブは活躍の場をインドアサッカーに移すものの、1985年に解散した。

 その後、アメリカではW杯の開催やMLSの設立により、国内のサッカー人気が再燃していった。徐々にサッカー熱が高まる中で、2010年にコスモスの復活とペレの名著会長就任が宣言された。

現在はNASL(実質、アメリカ2部)に在籍しており、MLS参入を目指して活動している。さらにスター選手を獲得する路線も継続しており、ラウル・ゴンザレスやマルコス・セナらの加入は大きな話題を生んだ(現在は引退)。サポーターが創設したわけではないが、多くのサッカーフリークが復活を望んだ同クラブは、不死鳥のように再誕を遂げた。

 コスモスはアメリカで最も有名なクラブの一つだが、ニューヨークをホームタウンとするクラブは、ニューヨーク・レッドブルズやニューヨーク・シティと飽和状態にある。

クラブもサポーターもそれをネタにしており、NASL解散前と解散後で史上最多の8回制覇している我々が真のチャンピオンだと豪語している。彼らがMLSに参入したあかつきには、MLSを感動、ときどき笑いでアメリカを満たしてくれるかもしれない。

 上記のクラブ以外にも、横浜フリューゲルス解散をきっかけに創設された横浜FCが挙げられる。現代サッカーはマネーゲームの横行により、サポーターと共に分かち合う牧歌的なクラブ運営が困難になりつつある。しかしサポーターの愛によって復活を遂げたフェニックス・クラブは、今もなお「サッカークラブの可能性」を示し続けている。

Photo by Takuya Wada

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About Ao Takahashi

Ao Takahashi
高橋アオ : フリーの編集記者。主に編集、たまにライティングしています。主にサッカーを得意としていますが、スポーツ以外の分野も書いております。取材、編集、執筆とオールラウンダーを目指して奮闘中。

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