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世界を駆ける「町のシェフ」が、地元・福島でつくるもの/日本代表専属シェフ・西芳照

「日本代表専属シェフ」。そう呼ばれる人のことは、サッカーフリークであればよく知るところかもしれない。西芳照(にし よしてる)さん。日本初のナショナルトレーニングセンター“Jヴィレッジ”で総料理長を務め、2004年から各年代別のサッカー日本代表チームに帯同。世界各地で繰り広げられる日本代表の戦いを“食”で支える、日本サッカー界が最も信頼する料理人だ。

一方で、西さんは福島県双葉郡の広野町でレストランを経営し、被災を経験した地域の人々を“食”で勇気づけるために奮闘している「町のシェフ」でもある。

世界で料理を作り続ける西さんが、地元・福島で作り続けているものとは?

取材・文・写真:本田悠喜 編集:和田拓也

 

福島が自立するために、ひとりの人間ができること

 

2011年3月11日に起きた東日本大震災で被災し、西さんは東京に避難していた。しかし生まれ故郷である福島の震災による窮状を見て、「困っている人がいるから」と震災後避難していた東京から帰郷した。

震災から半年後の9月13日にJヴィレッジのレストラン「ハーフタイム」を再開し、翌々月の11月には広野町でレストラン「アルパインローズ」をオープン。2015年にはフードコート「クッチーナ」を開店した。

世界各地を日本代表とともに駆け回り、食で戦い続ける西さんが、「地域」で作る料理とはどんなものなのだろう?

「(違いは)そんなにないですねぇ……。作る気持ちは一緒じゃないですか。おにぎりと味噌汁だけで済ませて、サボろうと思えばサボれるんです。でもそういう事務的な仕事ではなく、時間が余ったからもう一品とか、それ以上の、例えば母親が子供のことを思って食事を作るようにね。大事な人のためにという、当たり前のことってすごい大事ですから」

「(実際の料理でいうと)少しでも地元のおじいちゃんやおばあちゃんが作った野菜を使う。相馬で上がった魚を使うといったこと。お米はすべて広野町のものを使っています」

理由は、広野町が本当の意味で立ち上がるためだという。

「そろそろ(全国からの支援に)頼るだけじゃなくて、自分たちで盛り上げないとね。売れないともう作る気力もなくなりますし、おじいちゃんやおばあちゃんが野菜を作っても風評被害があって。でも福島産の食材は厳しい基準をクリアしたものだから、実は世界で一番安心できるんです。ぼくらは地道に、福島の食材は安全だよっていっていくことですね」

 

料理人がはじめて背中に感じた、「サポーター」の力

 

「福島のために」という一念でひた走ってきた西さん。その言葉の端々には、苦労の影が。

先の震災から約6年。福島県は廃炉作業中の福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)の存在もあり、広野町は町民より作業員の方が多いなど、他の被災県とはまた違う特殊な状況下に置かれている。

人口の減少(に伴う客数の減少も)や福島県に対するネガティブなイメージも未だに残る。主な客層となる作業員の出入りも激しい。想像以上の向かい風に、一時は店をたたむことも考えたという。

しかし、そんな西さんに救いの手を差し伸べたのが、サッカーで繋がった仲間たちだった。

「岡田監督には『いつでも力になるぞ』 って言われました。忘年会をここでやってくれて。監督が景気付けに東京から代表スタッフとか、みんなを呼んでくれたんです」

そのほか小笠原満男選手、清武弘嗣選手などの歴代代表選手が店を訪れるなど、その繋がりは強い。ブラインドサッカー日本代表の落合啓士選手は、自身の結婚式を祝う披露宴を開きに、およそ130人を福島まで連れてきたのだというからすごい。なぜここまで。

「なんというか、戦友とでもいいましょうか。一つの目標を目指して戦った仲ですからね。困った人がいたらみんなで助ける精神なんですね」

そこから、援助の輪は広がっていく。選手、スタッフ、西さんという関係に、もう一つサポーターとの繋がりが加わった。これは西さんも予想外だったそう。

「いろんなチームのサポーターがどこからか店の窮状を聞きつけてやってきてくれるんです。仙台から南相馬で草刈りのボランティアをして、高速でわざわざ店に寄ってくれる方とかもいてね。サポーターの力というか。そうやって、普段選手がサポートしてもらう感覚をね、ひしひしと感じることができた。だから、そういう人たちのおかげでやっていけるんだなあと、感謝の気持ちでいっぱいです」

今まで選手を支え続けてきた西さんが、今度は選手から、スタッフから、サポーターから支えられている。

「支えてくれた皆さんに何かお返しをしたいのですが、俺には返すものが何もないんですよ。だから、お返しはやっぱり食事で。それを一生懸命やるしかないですよ」

 

散り散りになった思い繋ぐ。“食”と“サッカー”で

 

「やはりその、この辺の食材や、おじいちゃんおばあちゃんしか知らない料理を、少しでもここで出していければなあと。『ああ昔これよく食べた』とそういう会話にもなりますし。それを食べて昔を思い出す人、結構いますから。

故郷を忘れない、遠くにいても故郷を近くに感じるのが一番大事なのかなあ。『たまには田舎に帰ろうかな』となるかもしれない。地元の友人とか連れてね」

また、Jヴィレッジは2016年11月いっぱいで、福島第一原発の廃炉作業拠点としての役目を終えた。今は2018年の再オープンに向けて動き出している。

加えて、東京五輪のサッカー日本代表の合宿予定地(男女ともに)として内定している。福島にサッカーに親しむ場が戻ることで、散り散りになった思いがまた繋がるかもしれない。

「Jヴィレッジはこの地域のためにできた施設で。以前は選手と地域の人たちや子供と触れ合ったり、子供たちに限らず、父兄の皆さんと繋がりがずっと途切れなかった。

二年後の再オープンでまた同じようなつながりができればいいですよね。例えばJヴィレッジのアカデミーにいた子供たちとかね。あの子はああだったよね、こうだったよねと。食事を提供しながら、当時の昔話ができたらいいなあと思います。子供たちの憧れの選手が来てくれたり、サッカーを教えてもらう、そういう機会も作れる」

「他のスポーツもそうですが、サッカーっていろんな意味で人を勇気づけることができる。サッカーをしているその姿を見て。悩んでいる人、落ち込んでる人、辛い境遇の人に日差しを当てる。また頑張ろうと思ってもらう力がサッカー、スポーツの力だと信じています」

「賛否両論、難しい問題ですが、僕は全国の親御さんが原発から20km圏内のここに子供を送り出すのかといえば、なかなか———。でもやっぱり、Jヴィレッジで子供たちが大会などで走り回って。シニア年代も、いろんな年代の人が来て。そういう以前のような景色、やっぱり見たいですねえ」と、西さんから柔らかな笑みがこぼれる。

震災以降、「福島は様々なコミュニティが分断されたと思っています」と西さん。町の形はいびつになってしまった。それでも西さんは、「食べるということには単に栄養をとる以外の、明日への活力、人を幸せにする力がある。少しでも、残っている人に温かい食べ物を提供したい。そういう店があればいいだろうなということですね」といって、今日も包丁を握る。あの日止まったJヴィレッジの時計は、少しずつ進み始めていた。

 

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About Honda Yuuki

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本田悠喜(ほんだ ゆうき):自転車に乗って日本一周中。気ままに放浪中。ビタミン不足中。 津々浦々、ボールの周辺で喜怒哀楽を紡ぐ人々の思いを届けるために、今日もチャリを漕ぐ。

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